菅原道真公と使いの牛
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使いの牛のご神徳
生身天満宮の本殿横に「使いの牛」がたたずんでいます。「使いの牛」とは、「神使(=神様の使者)の牛」という意味。ご祭神菅原道真公のお使いです。古くから、傷や病気の箇所をさすると回復するとの言い伝えがあります。多くの参詣者に、病気が治りますように、痛みが消えますようになど様々な願いを込めて触れられてきました。また頭を擦ると知恵を授かり、賢くなるとも。牛の頭と自分の頭を交互に優しく撫でます。にこやかに触れ合う親子連れなどをよくお見受けします。
台座には、安政7年(1860年)奉納の文字と本町若中15軒の屋号名前が彫られています。長い間、願い人に安らぎを与えてきたのです。
天満宮と使いの牛
天満宮には、なぜどこにでも「使いの牛」があるのでしょう。これには、いろいろな説があります。菅原道真公の生年が承和12年(846年)6月25日で乙丑の年だからという説。また薨去されたのも延喜3年(903年)2月25日の丑の日だからとの説。菅原道真公の御遺骸を載せた車を引く牛が座り込んで動かなくなった場所をご墓所と定めたことからとする説。この説から「使いの牛」は、ほとんど臥牛と呼ばれる座った姿勢をしています。
他にも農耕の神のご神徳からそのシンボルとする説。菅原道真公薨去後に下された「天満大自在天神」という神号からきているという説。「大自在天」は元々はバラモン教の大本尊で、仏教におけるお姿は、八本の腕と三つの眼を持つ八臂(はっぴ)三眼で、白い牛に跨がるとされているので、そこから結びつけられたようです。また、大宰府へ下られる際、牛に乗られていた。菅原道真公が牛を愛育されていた。刺客から牛が菅原道真公を守ったことがあった。など様々です。
「使いの牛」ひとつにこれだけの伝承があることは、歴史と共に変遷しながら継承されてきた菅原道真公の神威の広大さを物語っています。
いずれにしても、受験合格や病気回復のほか、多様な熱い願いや夢が交錯する生身天満宮境内で、この「使いの牛」は、願い人に安らぎを与えてきました。 これからもとこしえに、ご祭神菅原道真公からの使いとして、参詣される皆様にご加護を届けて下さることでしょう。
苦しい時にこそ ご加護を
令和2年(2020年)は、春先早々から、新型感染症が世界に蔓延する未曾有の年となりました。
早くも長くも感じられるこの年を終える時、どうか終息して欲しいと誰もが願っておられることでしょう。
苦しい時、辛い時、先が見えない時。牛が歩むように、焦らずにじっくりと、コツコツと着実に進めば、必ずや「使いの牛」が、ご加護を届けて下さいます。
「金色(こんじき)の牛」授与
よりいっそう、願いごとがご祭神菅原道真公に届きますよう、「金色の牛」を授与しています。
感謝と祈りを込め、願いを「金色の牛」に記します。
そうすると「使いの牛」が、菅原道真公のご加護を届けて下さいます。
詳しい生身天満宮の由緒と共に、お領ちしています。
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交通安全御守「使いの牛」授与
生身天満宮では、令和の御代、初めての丑年を機に、この使いの牛を描いた交通安全御守を謹製しました。
「お帰りなさい」と大切な人の無事を願う交通安全御守。
感謝と祈りを込めて、お頒ち致します。
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